自然農法の提唱者といえば、世界救世教の教祖である岡田茂吉氏(明治15年 - 昭和30年)と、「藁一本の革命」がベストセラーになった福岡正信氏(大正2年 - 平成20年)のお二人。
両氏とも、農薬、化学肥料はもちろん、肥料そのものを入れずに、土壌が本来持つ力だけで作物を栽培できると主張し、実践しました。まずもって有機肥料を使わない、というところが、有機栽培とは全く異なっています。
では、自然農法とか、自然栽培、自然農、自然耕、天然農法など、いろいろな呼び方があるが、これらはどう異なるのか、ということが時々議論されたりします。いろいろな見解が披露されていますが、私の考えは、自然農法は、基本的に肥料を投入しないで土壌の力で栽培するという考え方全体をさしていて、自然農は、奈良県の川口由一さんが提唱した自然農法、自然栽培は奇跡のリンゴで有名な木村秋則さんが言った言葉、自然耕は、冬季湛水によるイトミミズの働きで無肥料無除草の水稲栽培を可能にした岩澤信夫さんの始めた農法。 つまり基本の理念はいっしょでも、各地の実践のなかで、いろいろ違った方向が出てくるということですね。例えば川口由一さんは、奈良県の山奥の赤目で赤目自然農というのを開いて、全国から若者たちが集まり、生産性とはかかわりなく各々の「農」を楽しんでいました。農業ではなく、ライフスタイルとしての「農」なのですね。山間の棚田が赤目自然農塾の場ですから肥沃な土地ではないので、土が肥えてくるまでは、「補い」といって,畑に米ぬかをまいたりします。これを見て、肥料をまいているからあれは自然農法ではない、と否定的なことをいう人がいますが、各地で繰り広げられる自然農法的実践の素晴らしい例だと私は思います。
木村明則さんが講演でとても理にかなったことを言っておられました。自然栽培の世界について述べられた後、「具体的な農法は各地で実践しながらそのなかでそれぞれ確立していけばいい」、と。至言だと思います。
各人が地域や環境の特殊性やいろいろな条件にあわせて自然農法を実践しようとするとき、
それぞれに特徴的な自然農法が具体化していって当然です。違いがあって当然です。
共通項はどこにあるのかといえば、農の「自律」だと思います。外部資材に頼らない。種をつないでいく。専門家の意見は拝聴するが依存はしない。自分の観察力を研ぎすます。農の現場から生まれた自然農法は、各地の農の実践のなかにこそ生き、発展を続けるものだと思います。
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